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幕間「銭湯のおばあちゃん」

Author: 佐薙真琴
last update Last Updated: 2025-12-07 05:53:22

 真澄が蓮杖の家に通い始めて一ヶ月が経った頃の話。

 ある日の午後、真澄は近所を散歩していた。蓮杖は稽古に出ていて、家の掃除も一段落ついたので、少し外の空気を吸いたくなったのだ。

 住宅街を歩いていると、古い銭湯を見つけた。「松の湯」という看板が掛かっている。木造の建物で、煙突からは湯気が立ち上っていた。

「懐かしい……」

 真澄は子供の頃、祖母と一緒に銭湯に通っていた。その記憶が蘇ってきた。

 ふと、入ってみたくなった。蓮杖の家には立派な風呂があるが、たまには銭湯も良いかもしれない。

 暖簾をくぐると、番台におばあちゃんが座っていた。

「いらっしゃい」

 おばあちゃんは優しく微笑んだ。真澄は料金を払って、女湯に入った。

 湯船に浸かると、体の芯まで温まった。ああ、やっぱり銭湯は良い。

 湯上りに脱衣所で髪を乾かしていると、番台のおばあちゃんが話しかけてきた。

「お嬢さん、この辺は初めて?」

「はい。知り合いの家に通っていて」

「そう。良いところでしょう、この辺は」

 おばあちゃんは微笑んだ。それから、何気なく尋ねた。

「知り合いって、もしかして鳳凰院さんのお宅?」

 真澄は驚いて顔を上げた。

「え? どうして分かるんですか?」

「ああ、やっぱり。お嬢さん、鳳凰院家の匂いがするのよ」

「匂い……ですか?」

「白粉とお香のね。あの家独特の匂い」

 おばあちゃんは懐かしそうに目を細めた。

「私ね、昔、芸者だったの。歌舞伎の楽屋にもよく出入りしてた」

「芸者……!」

「ええ。鳳凰院家とも縁があってね。蓮杖さんのお祖父様の時代から知ってるのよ」

 真澄は目を丸くした。このおばあちゃんが、蓮杖の家のことを知っている。

「蓮杖さんのこと、ご存知なんですか?」

「もちろん。小さい頃から見てるわ。可愛い子だったわよ。今は立派な女形になって」

 おばあちゃんは嬉しそうに笑った。

「お嬢さんは、蓮杖さんとどういう関係?」

「え、えっと……お世話係、みたいな……」

 真澄は言葉を濁した。おばあちゃんは意味ありげに微笑んだ。

「ふふふ、そう。でもね、お嬢さんの目を見れば分かるわ。あなた、蓮杖さんのこと、好きでしょう」

「え……!」

 真澄は顔が真っ赤になった。おばあちゃんは優しく笑った。

「隠さなくていいのよ。良いことじゃない。蓮杖さん、お母様が亡くなってから、ずっと一人で寂しそうだったから」

「おばあちゃんは……蓮杖さんのお母様も知ってたんですか?」

「ええ。優しい方だった。でも病気で……可哀想に」

 おばあちゃんは少し悲しそうな顔をした。

「蓮杖さんはね、お母様が亡くなってから、笑わなくなったの。たまにこの銭湯に来ても、黙って湯に浸かって、すぐに帰っていった」

「そうだったんですか……」

「でもね、最近、また笑顔が戻ってきたような気がするの。きっと、お嬢さんのおかげね」

 おばあちゃんは真澄の手を取った。

「お嬢さん、蓮杖さんを大切にしてあげてね」

「はい」

 真澄は力強く頷いた。

「蓮杖さんはね、優しい子なの。でも、歌舞伎の世界は厳しい。完璧を求められて、失敗は許されない。そんな重圧の中で、蓮杖さんは頑張ってる」

「私、知っています。だから、支えたいんです」

「それを聞いて安心したわ」

 おばあちゃんは微笑んだ。

「もし困ったことがあったら、いつでもここに来なさい。話を聞くくらいはできるから」

「ありがとうございます」

 真澄は深々と頭を下げた。

 その後も、真澄は時々「松の湯」を訪れた。おばあちゃんは、歌舞伎の世界のことや、鳳凰院家のことを色々教えてくれた。

 そして、真澄が蓮杖との関係で悩んだとき、おばあちゃんはいつも的確なアドバイスをくれた。

「女形ってのはね、舞台の上では女だけど、舞台を降りれば男なの。そのギャップに悩む人は多い。でも、両方を愛せる人がいれば、それが一番の幸せなのよ」

 おばあちゃんの言葉は、いつも真澄の心に響いた。

 銭湯のおばあちゃんは、真澄にとって、大切な相談相手になった。

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